2022年5月13日金曜日

ガスぬきの熱・統計力学

 

 理想気体の状態方程式が出てこない熱・統計力学を考えてみました。マクロの現象として固体比熱のデュロン-プチの法則があります。この法則はミクロの観点から固体比熱にアプローチする統計力学によって説明されます。そもそも、統計力学ではボルツマン分布を導出する過程で、ラグランジュの未定乗数法が使われます。そのとき使う未定乗数βとして、気体の分子運動の力学に基づいて得られた関係式 β=1/kBT (kBはボルツマン定数) が一般的に用いられます。「ガスぬき」の熱・統計力学ではこのようにせず、βを金属の単原子結晶のモル熱容量と結び付けた関係式を導いてみました。

 

1.熱力学の観点から

話題とするのは、「ガスぬき」の熱力学だから固体が対象です。固体比熱のデュロン-プチの法則に従うような金属の単原子結晶をとりあげます。

この法則によれば、その熱容量は金属の種類によらず、モル熱容量が3R (= 8.3145 J mol-1K-1)と一定の値になる。モル熱容量が金属の種類によらず、モル数つまり原子数によって決まる点は、理想気体の状態方程式(pV=nRT)によると、気体の種類によらず、ある温度のpVで表されるエネルギーがモル数nによって決まるのと類似する。常温付近の単原子結晶のモル熱容量をCm 、アボガドロ数をNAとすると、個の原子からなる結晶に対して内部エネルギーと温度のそれぞれの変化量の間で次式が成り立つ。


常温付近で成り立つ上式の関係を絶対零温度まで外挿できると仮定して、積分すると            

                                                                                         (1)

ここで、積分定数U0T=0での内部エネルギーである。

 

2.統計力学の観点から

固体の内部エネルギーをミクロの粒子の運動と関係づけるために、固体比熱のアインシュタイン模型の復習から始めます。

この模型では、N個の粒子がすべて同じ振動数(ν)でそれぞれ独立に振動しており、振動子のエネルギーの総和 (E)が一定であると考える。まず、一個の粒子の1次元の振動について説明する。量子力学によると、最低レベルからn番目の振動子のエネルギーは、プランクの定数をh、振動子の振動数をνとすると

         n = 0, 1, 2, …             (2)

である。N個の振動子を、エネルギーεの状態にn0個、εの状態にn、……εiの状態にni個、……になるように分布させるとする。この分布{n0n…… ni……}をとるように振動子を配置する仕方の数は

               

である。アインシュタイン模型では、振動子の総数Nと全振動子のエネルギーの和Eがそれぞれ一定であるので、

                           

である。上のWを表す式Nが大きい(アボガドロ数の程度)と、振動子のエネルギーがεiとなる確率piは、Wに最大値を与える分布{n0n…… ni……}niによって、pi=ni/Nとなることが、知られている。(3)(4)の条件のもとにWが極大となる条件を統計力学の手続きに従って計算する(注1)と、振動子のエネルギーがεiとなる確率piを表す次式が得られる。

ここで、βは極大を求める計算で使われる未定乗数である。また、Zpiを確率とするための規格化因子で、状態和と呼ばれる。

上の式から、エネルギー εの振動子の数 n                                                         

と表わされる。

系のエネルギーは(5)(6)により

となる。 

一方、状態和(6)の対数をとると

だから、logZβで偏微分して

          

したがって、この式と(7)とから

                        (8)

1次元調和振動子の状態和(6)は、添字 i  n に換えてから(2)を代入し、無限等比級数の和の公式を使うと

を得る。これを(8)に代入し、βで偏微分すると

       
    

ここまでは1次元の調和振動子の計算であったので、3次元の調和振動子のエネルギーE3Dは、3方向の振動が独立しているとすれば、上式の3倍で与えられる。

   

これは振動子N個の系のエネルギーで、熱力学の内部エネルギーに当たる。したがって、

                           9

 

3.まとめ

統計力学で導かれた式(9)を熱力学の内部エネルギーの式(1)と比較すると、右辺の第1項は振動子の零点エネルギー U0 、第2項は温度に関係するエネルギー (N/NA)CmT に対応している。hνβ ≪1 の場合には、exp(hνβ) = 1 + hνβ だから  

                                       

この式と(1)との対応から  

                                                                             (10)                                                                                                                      

となって、内部エネルギーと温度の関係式が得られる。

                                          

この式はN個の原子からなる結晶の内部エネルギーを表すので、これをTで偏微分すれば熱容量が得られ、1モル(=NA)の熱容量は U3D/∂TCmとなる。

 また、(10)から次のことが明らかになる。(Cm/NA)Tは内部エネルギーU3Dのうち温度に関係する部分であり、(10)の右辺はCmTNAで割った値だから、調和振動する原子1個が持っているエネルギーに当たる。ここで κ Cm/NA とおくと                                     

                     

となる。「理想単原子結晶」に対して「熱容量定数κ」なるものを想定すれば、理想気体の熱力学における気体定数 の役割をこの定数にもたせることができよう。

 ところで、(9)に続く計算ところで、hνβ ≪1という条件を使った。この条件は(10)によってhν ≪ (Cm/3NA)Tであって、1 個の振動子が零点エネルギー hν/2 より十分大きなエネルギーで振動する場合、すなわち高温であれば実現する。このとき(9)の温度が関係する項がhを含まない式に変換されるのは、量子力学から古典力学への移行に対応している。

 

最後に、κ とボルツマン定数 kとの関係をみてみます。気体の運動に着目する一般の統計力学では、熱平衡にある気体分子の自由運動の力学に基づいて、

                

が導かれる。このβを(10)に代入すると

                                                

となって、κ = 3kBである。また、この関係から

                 

となり、デュロン-プチの法則を表す式が得られる。

 

参考資料

1.        原島 鮮著「熱力学 統計力学」培風館、1966

2.        中村 伝著「統計力学」岩波書店、1967

3.        砂川重信著「エネルギーの物理学:現代物理学入門」河出書房新社、1972

4.小出昭一郎著『物理学 三訂版』(三訂第57版)裳華房、2008.

5.        P. Atkins, J. de Paula著、千原秀昭、中村亘男訳「アトキンス 物理化学() 第8版」東京化学同人、2009

6.  都築卓司著「新装版 なっとくする量子力学」講談社、2018


注1)この導出は、成書にゆだね、物理学については門外漢の私が、ボルツマン分布を理解するのに役立ったYouTubeのサイトを紹介しておきます。https://www.youtube.com/watch?v=YelovOPe5mM&t=41s です。また、その導出の際に使うラグランジュの未定乗数法はインターネットのサイトhttps://www.yunabe.jp/docs/lagrange_multiplier.html で勉強しました。


後記

物理学については門外漢ですが、若かりし頃に酵素反応のメカニズムに興味を持ったこともあって、物理化学を勉強する機会がありました。その折に、量子力学や統計力学を少しかじった経験があります。隠居暮らしを始めてから暇に飽かせて統計力学に再挑戦しています。今回の記事はその産物です。一緒に考えてもらえる知人の協力があって、この記事を完成することができました。

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2021年10月19日火曜日

ビタミンCは補酵素か?

 

名古屋女子大学に勤務し始めた頃(2008年)、同僚の先生から「ビタミンCは補酵素か」との質問を受けたことがあって、そのとき、「ドーパミンβ-水酸化酵素の場合は補酵素とするのが適切」と返答した記憶があります。アスコルビン酸は基質と化学量論的に反応するので、NADHNADPH を補酵素とする酵素と同様に考えることができるというのが、そのときの判断の根拠でした。最近ビタミンC 研究委員会(https://vc-research.info/)で、そのホームページに「やさしいビタミンCの知識」を載せる企画が始まって、私もビタミンCと酵素に関する3つの記事を投稿しました。そのなかの一つ(https://vc-research.info/wisdom/w_09.html)で、「アドレナリンができる1段階前の反応は、ドーパミンからノルアドレナリン(ノルエピネフリンとも呼ばれる)への変換です。この反応でビタミンCが水酸化酵素(ドーパミンβ-ヒドロキシラーゼ)の補酵素として働きます。」と記載しました。委員会の小城勝相先生から、「普通は電子を与えるだけで他の還元剤でも代役が可能な場合は補因子になるようです。補酵素B群のように酵素が認識部位をもっていて特異的に結合しているという必要があるのでしょうか。」と、私の「ビタミンC補酵素説」への問題提起があり、先生と数回やり取りをするなかで文献をいろいろ調べて勉強しました。

 ドーパミンβ-水酸化酵素をインターネット検索してみると、ほとんどがアスコルビン酸を補因子とし、補酵素とするものは稀でした。さらに、たいていの生化学の教科書では、アスコルビン酸が補酵素か否かについて言及していません。この現状を鑑みて、学習者を混乱させないようにウェブ上の記事で「この反応でビタミンCが水酸化酵素(ドーパミンβ-ヒドロキシラーゼ)の基質の一つとして作用します。」と修正しました。そこでこの機会に、手持ちの書物を調べて「補酵素とは何か」という問いに答えつつ、「ビタミンC補酵素説」の妥当性を考察してみました。

 

 まず、「補酵素とは何か」の問いから始めましょう。酵素の研究が生化学の中心的課題であった頃に、Enzymesというタイトルの、研究者にとってバイブル的な存在であった本があります。手元の3版(M. Dixon & E.C. Webb著、Longman1964)Enzyme Cofactorsの章に、補因子(cofactor)を作用様式によって分類した、(aAs inter-enzyme carriers(b) As a prosthetic group など8つのタイプが記載されています。ちなみに、補因子は酵素たんぱく質以外の、酵素活性発現に必要な物質を広く指します。(a)と(b)の説明は下記のようです。

 

a)のinter-enzyme carriers(酵素間で働く移送体)は、酵素1と結合して基質分子の一部を受けとる。そして、受け取った部分を担った移送体は別の酵素2に届ける。その移送されてきた部分が酵素2の基質分子に受け渡され、そのあと移送体が酵素から遊離する。移送体は、二つの酵素からなるシステムの補因子として働くが、各酵素の第二の基質として別々に作用する(図1)。

 

(b)prosthetic group(補欠分子族)は、酵素の反応に必要不可欠な化学物質で、一般的に酵素タンパク質と強固に結合する。結合のモル比は通常11。補欠分子族は、基質分子(供与体)の一部を取り除いて、同一酵素のもう一つの基質(受容体)に転移させる(図2)。いわば、分子内移送体である。補欠分子族は、同一の酵素に結合したままで働く点が、(a)タイプの移送体(2つの異なる酵素間を行き来する)と異なる。



①基質と移送体の結合 
②基質の赤丸部分の移送体への転移 
③生成物と移送体の遊離



このタイプの移送体は酵素たんぱく質に強く結合していて、透析によって遊離しない。共有結合している場合もある。いずれの場合も補欠分子族と呼ばれる。




Enzymes1章では、補酵素coenzyme作用様式(a)で働く物質であると示されています。また、A. Whiteらの教科書Principles of Biochemistry 6th Ed., McGraw-Hill, 1978では、作用様式(a)の移送体だけを補酵素とし、(b)の補欠分子族と区別しています。「有機化合物の補因子には、基質から除かれた原子ないし官能基を受け取ったり、原子ないし官能基を担って基質に付加したりするものがある。このような補因子は補酵素と呼ばれ、酵素から容易に解離する。基質と化学量論的に反応するので、補助基質(co-substrate)と見なすのが適切である。」という趣旨のことが書いてあります。最近の生化学の教科書でもR.K. MurrayらのHarpers Illustrated Biochemistry 27th Ed., 2006D. Voet J.G. VoetBiochemistry , John Wiley and Sons, 1995のように、補酵素を補欠分子族と区別して説明しているものがあります。

 

しかし今日では、Enzymesに記載された作用様式(a)または(b)で働く有機分子を合わせて補酵素であるとするのが一般的です。E. BaldwinDynamic Aspects of Biochemistry 3rd Ed., Cambridge University Press, 1957 では、基本的には上記のように補酵素と補欠分子族を説明をしたうえで、それぞれの機能が明確であれば、両者の違いは大事なことではないと記しています。A.L. Lehninger Biochemistry 2nd Ed., Worth Publishers, 1975では、「非タンパク質性の補因子が必要な酵素があり、有機化合物の補因子が補酵素である。・・・・補酵素は通常、酵素反応で移送される官能基、特定の原子あるいは電子の中間移送体として働く。」と述べています。また、D.E. Metzler Biochemistry, Academic Press, 1977にはCoenzymesの章があって、「多くの場合、補酵素は化学基、水素原子ないし電子を受け取ったり受け渡したりする触媒である」と説明し、3グループに分けています。それらは、化学基の供与体となる補酵素(ATP, GTPなど)、化学基の転移を容易にする補酵素(ピリドキサルリン酸、チアミンニリン酸など)および酸化還元に係る補酵素(NAD FADなど)です。

 

 ここで、補酵素がEnzymesに記載された作用様式(a)または(b)で働く有機分子であるとする立場で、補酵素の属性をまとめると次のようになります。

    化学基、水素原子ないし電子の移送をする機能を持つ有機化合物である。

    酵素のタンパク質部分との結合は、共有結合から一時的な結合まで程度が様々である。

    結合の強い場合の補欠分子族では、上記の移送が酵素分子内で起きるので自ずから触媒的に働く。

    結合の弱い場合、補助基質(co-substrate)として基質と化学量論的に反応する。その生成物は酵素から遊離して別の反応でリサイクルされて触媒的に働く。

 

Enzymesにある作用様式(a)について、エネルギー代謝にかかわる酵素のなかから、いくつか具体例を挙げてみます。

1)      グリセルアルデヒド-3-リン酸脱水素酵素

NADがアポ酵素に結合してホロ酵素が形成されたのち、基質グリセルアルデヒド-3-リン酸(GAP)が結合し、基質からNADへのヒドリド(H:)の転移によってNADHが生成する。最後に無機リン酸(Pi)が基質の1位に結合し、1,3-ビスホスホグリセリン酸(1,3BPG)が生成する。

NAD + GAP + Pi ←→ NADH + 1,3BPG + H  (1)

 

2)      乳酸脱水素酵素

NADがアポ酵素に結合してホロ酵素が形成されたのち、基質の乳酸が結合し、乳酸からのヒドリド(H:)の転移によってNADH ができ、ピルビン酸が生成する。

NAD    CH3CH(OH)COO-  ←→ NADH  +  CH3COCOO  + H (2)

 

3)      コハク酸-ユビキノンオキシドレダクターゼ

ミトコンドリア電子伝達系の複合体IIとも呼ばれ、コハク酸からユビキノン(U、酸化型コエンザイムQ)に電子を移す。コハク酸はフマル酸に酸化され、ユビキノンはユビキノール(UH2)に還元される。補欠分子族としてFADと3種類の鉄イオウクラスターおよびシトクロムbを持つ。

コハク酸 + U ←→ フマル酸 + UH2      (3)

 

4)     ユビキノール-シトクロムcオキシドレダクターゼ

ミトコンドリア電子伝達系の複合体IIIとも呼ばれ、ユビキノール(還元型コエンザイムQ)からシトクロムc(Cyt c)に電子を移す。反応の結果ユビキノールはユビキノンになる。鉄イオウクラスター1個、シトクロムb2個、シトクロムc11個を補欠分子族として有する。

UH2 + 2 酸化型Cyt c ←→ U + 2 還元型Cyt  + 2 H   (4)

 

1)と2)は解糖系の反応で、嫌気的条件では、1)で生成するNADHが2)の逆反応によってNADに再生される。また、3)4)はミトコンドリアの電子伝達系の反応で、3)で生成するユビキノールが4)の反応によってユビキノンに再生。(a)の作用様式に照らして考えると、NADNADHおよびユビキノンとユビキノールが補酵素です。

 

いよいよ、本論の「アスコルビン酸は補酵素か」の問題に入ります。冒頭で述べたドーパミンβ-水酸化酵素の場合は補酵素とするのが適切」と考える根拠を述べましょう。この酵素は一酸素添加酵素の一つです。一酸素添加酵素は、触媒部位に酸化還元サイクルが可能な補欠分子族(補酵素または金属イオン)を持ち、これが電子供与性の基質によって還元される。還元された補欠分子族が酸素分子を活性化して、酸素原子1個を基質分子に付加し、もう1個を水にする。NADPHNADH、テトラヒドロビオプテリンおよびアスコルビン酸を電子供与体とする酵素が知られている。電子供与体は、酸素原子を付加される基質(RH)に対して、補助基質(XH2として働く。一酸素添加酵素の反応は、次のような反応式で表される。 

RH + O2 + XH2  → ROH + H2O + X    (5)

テトラヒドロビオプテリンとアスコルビン酸に関しては、S. KaufmanPharmacological Reviewの論文(1966年)(文献1)において、それぞれをフェニールアラニン水酸化酵素とドーパミンβ-水酸化酵素の補酵素と記しています。彼は、これらの酵素を純化して酵素の反応を研究した学者です。補酵素と判断した根拠は書かれていませんが、上の反応式(5)で表される酵素反応の補助基質RHとしてNADPHも知られていたからだろうと思われます。MetzlerBiochemistryには、Coenzymesの章において、各々の補酵素について詳しい説明があります。テトラヒドロビオプテリンを水酸化酵素の補酵素として記していますが、アスコルビン酸には言及がありません。別の章のOxygenases and Hydroxylases の節ではテトラヒドロビオプテリンとアスコルビン酸を補助基質と呼んでいます。冒頭で述べたように、ドーパミンβ-水酸化酵素に関する論文のほとんどがアスコルビン酸を補因子とし、補酵素とするものは稀です。

 

このような背景の中で、アスコルビン酸補酵素説の妥当性を考えてみます。初めに、ドーパミンβ-水酸化酵素の反応を見ておきます。この酵素は活性部位に2個の二価銅イオンを持ち、2分子の アスコルビン酸(下の式でXH21分子の酸素が下の式のように反応する。このとき2分子のアスコルビン酸は2分子のモノデヒドロアスコルビン酸(XH・)に変わる(文献2)。

RH + O2 + 2 XH2  → ROH + H2O + 2 XH・  (6)

2 XH・はXH2とXに変化するので反応式(5)と同じになる。

さて、この酵素反応におけるアスコルビン酸の作用を、上記の補酵素の属性①~④に照らして考察しましょう。①については、問題はないでしょう。しかし、②ついては、冒頭にある小城先生の質問にお答えします。文献3によると、L-アスコルビン酸のみならずイソアスコルビン酸とD-アスコルビン酸も同程度の酵素活性を与えるが、ジヒドロマレイン酸(エンジオール構造をもつ)、チオール化合物、還元型プテリジンなどではそれほどの活性がない。これは、構造特異性があるとみるべきです。また、L-アスコルビン酸に対するKm0.6 mMであり、酵素と結合して反応すると考えられます。④の「生成物は別の反応でリサイクルされて触媒的に働く。」はどうでしょうか。この酵素は副腎髄質の細胞内のクロマフィン顆粒に局在します。顆粒内で、生成したモノデヒドロアスコルビン酸からアスコルビン酸への再生が起きるかどうかが問題です。実は、この顆粒の膜に存在するシトクロムb561が膜外のアスコルビン酸から1電子を受け取って、膜内のモノデヒドロアスコルビン酸に渡します。その結果、アスコルビン酸が再生されることが分かっています(文献4)

 

 ところで、アスコルビン酸を補助基質とする水酸化酵素として、ドーパミンβ-水酸化酵素のほかにペプチジルグリシン α-アミド化一酸素添加酵素があります。この酵素は、オキシトシンやバソプレシンのようなペプチドホルモンの末端にカルボキサミド-CONH2基を作るときに働きます。反応機構がドーパミンβ-水酸化酵素と同様であるばかりでなく、補助基質の特異性(イソアスコルビン酸がL-アスコルビン酸と同程度の活性を示すが、ほかの還元性の補酵素のNADPH やテトラヒドロビオプテリンでは活性が出ない(文献5))も、モノデヒドロアスコルビン酸の再生反応(神経ペプチド分泌小胞の膜に存在するシトクロムb561が働く(文献6))も類似しています。

 

以上の根拠によって、「ドーパミンβ-水酸化酵素とペプチジルグリシン α-アミド化一酸素添加酵素の反応で、アスコルビン酸は補酵素である」という結論に至りました。

 

参考文献

1.   Kaufman S: Coenzymes and hydroxylases: ascorbate and dopamine-beta-hydroxylase; tetrahydropteridines and phenylalanine and tyrosine hydroxylases, Pharmacol Rev, 18, 61-69 (1966)

2.   Diliberto Jr E J, Allen PL: Mechanism of dopamine-beta-hydroxylation: Semidehydroascorbate as the enzyme oxidation product of ascorbate, J Biol Chem, 256, 3385-3393 (1981)

3.   Levin EY, Levenberg B, Kaufman S: The enzymatic conversion of 3,4-dihydroxyphenylethylamine to norepinephrine, J Biol Chem, 235, 2080-2086 (1960)

4.   Kelley PM, Jalukar V, Njus D: Rate of electron transfer between cytochrome b561 and extravesicular ascorbic acid, J Biol Chem, 265, 19409-19413 (1990)

5.   Murthy AS, Keutmann HT, Eipper BA: Further characterization of peptidylglycine alpha-amidating monooxygenase from bovine neurointermediate pituitary, Mol Endocrinol, 1, 290-299 (1987)

6.   Duong LT, Fleming PJ, Russell JTAn identical cytochrome b561 is present in bovine adrenal chromaffin vesicles and posterior pituitary neurosecretory vesicles, J Biol Chem, 259, 4885-4889, (1984)

 

追記

ハーパーの教科書には、「ビタミンCは2群のヒドロキシラーゼの補酵素である」との表題の下に、ビタミンC のコラーゲン水酸化酵素やドーパミンβ-水酸化酵素における役割を説明しています。しかし、コラーゲン水酸化酵素の場合、アスコルビン酸を補酵素とするのは誤りです。プロリル水酸化酵素に代表される、二価鉄とα-ケトグルタール酸を要求する二酸素添加酵素の場合は、アスコルビン酸は補因子とすべきです。アスコルビン酸は酵素の二価鉄の状態を維持するのが役割で、酵素の触媒過程の素反応には関与せず、基質であるプロリン残基の水酸化とアスコルビン酸の酸化は化学量論的に起きません。

名古屋女子大学で同僚だった佐野満昭先生から、冒頭の小城先生と同じような質問がありました。あまりにも似ていて驚きました。

「この酵素の酵素反応を行う際に、・・・・Cu2+を還元するのであれば、ビタミンC以外の還元物質で代替できるのかどうか。」

「補酵素とは、アポ酵素に結合または配位して、完全な酵素(ホロ酵素)を形成するために必要な部品を補酵素というのか、または、酵素反応が進行する際に必要な物質も補酵素とするのか。」

両先生の質問に回答できなければ、「ドーパミンβ-水酸化酵素の場合は補酵素とするのが適切」という私の主張に説得力がありません。それで、インターネットで検索しつつ孤軍奮闘した結果、この記事を完成できました。最後に、貴重なコメントを頂いた両先生に感謝いたします。

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2021年2月14日日曜日

新型コロナウイルス肺炎の致死率―2021年1月厚労省発表の抗体保有率を使って計算

 

厚生労働省は、202125日に、新型コロナウイルスに対する抗体検査を行った結果を発表しました。検査の行われた5都府県の抗体保有率(抗体を持っている住民の割合)は、東京都0.91%、大阪府0.58%、愛知県0.54%、福岡県0.19%、宮城県0.14%でした。メディアの報道[1]では、1%足らずの住民しか集団免疫を獲得していないので、今後も感染防止対策が大切であることが強調されました。しかし、抗体保有率の値からもう一つ重要な知見が得られるのですが、看過されたようです。その知見とは、新型コロナウイルス肺炎に罹っても感染したことを自覚しない人が多数いるということです。この知見に至る考察を通して、検査時点の感染者の累計数と新型コロナウイルス肺炎の致死率を推定しました。

 

 

まず、抗体保有率から無症状感染者の数を求めます。愛知県を例に挙げて説明しましょう。抗体検査は、昨年の1214~25日に実施されました。検査対象者は、検査に応募した20歳以上の県民(2万人弱)のなかから、性別、年齢、居住地域の分布が、県の人口のそれぞれの分布と等しくなるように3,300人が抽出され、実際には2,960⼈が受検しました。そして、2種類の検査試薬(アボット社・ロシュ社)の両⽅で陽性だった人が「陽性」と判定されました[2]。このように注意を払って行われた検査なので、結果は県内の新型コロナウイルス感染の実態を十分反映するものと考えられます。愛知県の人口は7,536,639 人(2021年1月1日現在の推計)[3]、抗体保有率が0.54%だから、無症状感染者の数は40,700です。一方、検査が実施された頃(昨年の1220)PCR陽性者数の累計[4]14,145でした。無症状感染者数がPCR陽性判定を受けた人数の2.9倍だったことを意味します。

 

次に、致死率の計算に移ります。上の無症状感染者の数とPCR陽性者数の累計から、検査時点の感染者の累計は54,800人となります。昨年の1220日現在の死亡者数 [4]の累計が163だったので、致死率(死亡数/感染者数)は(163/54,800)×100 = 0.297%と計算されます。以前のブログ「『新型コロナウイルス肺炎』雑感」[5]で、昨年421日現在の死亡者の累計(20人)から致死率0.2%を仮定して無症状感染者の数を推定しました。そのとき用いた致死率0.2%は、米国カリフォルニア州のある地域で行われた住民の抗体検査の結果に基づいたものですが、今回の計算による値(約0.3%)と大差のないことが確認されました。

 

上記の議論では、簡単のために抗体保有者数が無症状感染者の数に等しいとして計算しましたが、これは荒っぽすぎるかもしれません。一度感染したのちに抗体がなくなる人もいると考えられるからです。しかし、新型コロナウイルスの感染者が抗体を長期にわたって保持しているという研究結果[6]があるので、わが国で最初の患者が発見されてから検査までの期間が11か月で、初期には感染者が少なかったことを考慮すると、そのような人の数はさほど多くないと考えられます。したがって、上記の致死率約0.3%は「おおよその致死率」とみるのが妥当ですが、実際の致死率に近いと推測されます。


[1] https://digital.asahi.com/articles/ASP253D7YP25ULBJ002.html?iref=pc_ss_date_article

[2]https://www.pref.aichi.jp/site/covid19-aichi/koutaikekka.html#:~:text=%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%80%81%E5%8F%97%E6%A4%9C%E8%80%85,%E3%81%AF0.54%EF%BC%85%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82&text=%E2%80%BB%20%E4%BB%8A%E5%9B%9E%E3%81%AE%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%81%AF,%E7%AC%AC2%E5%9B%9E%E3%81%AE%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%80%82

[3] https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/328076_1290782_misc.pdf

[4] https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data/pref/aichi.html

[5] https://retiredsci3.blogspot.com/2020/05/blog-post.html この記事では、名古屋市について計算し、無症状の感染者がPCR検査陽性者の40倍いると書きました。一方、今回の考察では2.9(愛知県)でした。この違いには、昨年4月に比べて12月にはPCR検査数が顕著に多くなったことが響いていると考えられます。

[6] Jennifer M. Dan et al.: Immunological memory to SARS-CoV-2 assessed for

up to 8 months after infection, Science 371, eabf4063 (2021)

 https://science.sciencemag.org/content/371/6529/eabf4063 この論文の著者たちは、症状発現後20から240日経過した時点で188人の患者から228検体(血漿)を採取しました。そして、新型コロナウイルス関連の種々の抗体(血漿中)の力価を測定し、経過日数に対してプロットしたグラフを解析して各抗体の半減期を求めました。そのなかに抗体検査で調べられたヌクレオカプシドに対するIgGの半減期の記載があり、68日とあります。



追記 2/18/2021

東京都についても、愛知県の場合と同様な計算をしてみました。2020年12月20日現在のPCR陽性者数の累計は、51,427、死亡者数の累計は566でした[4]。東京都の人口13,960,236人で、抗体保有率0.91%ですから、検査時の無症状感染者は127,000人です。この数と検査時のPCR陽性者数の累計との和(感染者の累計数)は178,000となります。したがって、致死率(死亡数/感染者数)は(566/178,000)×100 = 0.31%と計算されます。この値は、愛知県の0.29%とほぼ同じです。ちなみに、無症状感染者数はPCR陽性判定を受けた人数の約2.5倍でした。


追記 7/27/2021

今回試みた無症状感染者数や致死率の計算が、理論的には正確ではないことに気づきました。感染者の発生が定常状態の時期に抗体検査が行われておれば理想的でしたが、検査の実施が第3波の感染拡大が進行中の頃であったのは残念でした。しかし、PCR陽性者の発生が緩やかな時期であったことを考慮すると、計算値はあながち外れていないと考えられます。