2023年1月16日月曜日

気体分子の運動エネルギー分布

 

一般向けのエントロピーの解説本に、気体分子の運動に関して速度分布とエネルギー分布が説明されていましたが、後者の分布について腑に落ちない所があり、改めて勉強しました。この記事はその備忘録です。マクスウェルの速度分布を介さないで、ボルツマン分布からスタートして気体分子の運動エネルギーの分布を導出してみました。初めに分子の一般的な運動についてボルツマン分布を導いたのちに、気体分子の運動量に注目して運動エネルギーの分布を求めるという流れになります。

 

1.ボルツマン分布の導出

N 個の単原子分子からなる理想気体が容器の中で熱平衡の状態にあるとする。このような粒子系の各粒子の運動状態は、3次元の位置座標(x, y, z )上の位置と、3次元の運動量座標(px , py, pz)上の運動量により定まるので、6次元の位相空間(μ空間)の一点(x, y, z, px , py, pz) で表わされる。容器中の粒子の場合、位置は定まった位置空間Ⅴ内に限られるのに対し、運動量には制約 がなく、3次元の運動量空間のすべての点に及ぶ。 したがって、今後扱う空間は、μ空間の部分領域Vである。我われはμ空間の領域V における粒子の分布を知りたいのであるが、すべての粒子の状態を観測してその分布を知るのは不可能である。しかし、確率論を援用して十分な確度でその分布を知ることができる。

 

V を微小な細胞に分けて、各細胞の体積はすべて同じでɑとする。粒子のエネルギーは粒子の状態を表す6変数の関数ε(x, y, z, px , py , pz) であるが、しばらくの間、i番目の細胞内の各粒子のエネルギーをその細胞内の一点で決まるエネルギーの値 εiで近似する。N 個の粒子のうちの ni 個がi番目の細胞に入るような配置{n1、n2、……ni、……}の数は 

                 

である。粒子の総数を 𝑁、粒子のエネルギーの総和を 𝐸とすると

 



である。この条件の下で、Nが大きい(アボガドロ数の程度)と、粒子がエネルギーεiの細胞に入る確率は、Wに最大値を与える配置{n1、n2、…… ni、……}のniによって、Pi=ni/Nとなることが証明されている。そこで、(2)と(3)の条件のもとにWが最大となるniを求めるのが課題になる。Wを最大にするのは、logWを最大にするのと同じであることに留意して、(2)と(3)の条件の下で、logWが極値をとる条件を求める。

 

 粒子の分布{n1、n2、…… ni、……}のniにわずかの変化δni(i = 1, 2,3,…)を与えた際のlogWの変化を求めるのであるが、その変化δniによって(2)と(3)の左辺は変わらないから、

となる。logW すなわち(1)の右辺の自然対数をとると、Starlingの公式により近似的に


となる。niにわずかの変化δni(i = 1, 2,3,…)を与えた際のlogWの変化は、

となる。logWが極値をとるところでは、δn1, δn2, δn3,.....が条件(4)と(5)を満たして微小なら、δlogW=0であるから

となる。

 

logWが極値をとる条件として、(6)に(4)と(5)の二つの条件が加わると、δn1,δn2,δn3…のうちで独立に変化できる変数が2個減る。扱っている粒子系では、εi すべてが等しいということは無いので、ε1≠ε2となるように番号をつけることができる。よってδn1とδn2をδn3,δn4,δn5,…の従属変数とすると、δn3,δn4,δn5,…は独立に変化することができる。

ここでLagrangeの未定乗数法を適用し、付加条件の式(4)と(5)に値が未定の数-α、-βを掛けて、logWが極値をとる条件の式(6)に加えると

となる。ところで (7)式の i = 1とi = 2の項の括弧が0になるようにαと
βを選んだとすると

である。先に述べたように、ε1≠ε2となるように番号を付けたので、この連立方程式は解くことができてαとβが決まる。そうすると、(7)は i = 1, 2 に対して成立する。また、(7)でi ≧ 3のすべての項の和が0になるには、δn3,δn4,δn5,…が独立に変化するため

でなければならない。よって、(7)は全てのiに対して成り立ち


          
となる。これは、あたかも(7)がδn1, δn2, δn3,δn4,.....が独立に変化し得るときの極値条件と同じである。(8)を

       
と書き直し、


となるから、この式と(9)から

             

となり、ボルツマン分布の式が得られる。この式のβは、後で求めるように β=1/kT となるので、熱力学との対応をとって、上式は   


 と表わされる。

2.連続型のボルツマン分布の誘導

 これから、離散的なボルツマン分布の式(11)をμ空間の6次元座標(x, y, z, px , py, pz)を使った連続的な分布に変換する。(7)の両辺を細胞の体積ɑ で割ると

        

となる。近似的な言い方であるが、細胞が微細な6 次元直方体で、その体積ɑがdxdydzdpxdpydpz に等しければ、εiをε(x, y, z, px , py , pz)  に戻して、(12)式右辺の分母の和は、次式左辺のようにμ空間の定義域Vにおける積分で表され、


                    
となる。右辺内側の積分記号の添え字Vは、μ空間の領域V(太字)の定義に用いた位置空間の領域である。また、(12) の左辺はi番目の細胞内の粒子の平均数密度であるが、細胞が十分に微細な場合、平均密度は細胞内の1点(x, y, z, px , py , pz)における粒子の数密度n(x, y, z, px , py , pz)に置き換えても誤差は無視できる。以上によって(12)は

 

になる。これは(12)の和を積分に置き換えた近似式であるが、 (12)はエネルギーを離散化して得られた数密度の近似式であり、 (13)はそれを本来の数密度の式に戻したものである。これをμ空間の定義域V で積分すると、粒子の総数N になる。(13) の両辺を粒子の総数N で割れば粒子分布の確率密度関数

が得られる。この関数はN 個の粒子から無作為に選んだ一粒子が点(x, y, z, px , py , pz)に存在する確率密度を表す。確率密度関数を定義域で積分すると1 になる。
 

3.気体分子の運動への応用

ここまでは、エネルギーが運動量のみならず位置にも依存する粒子系に適用できるμ空間で議論を展開したが、以降、熱平衡にある理想気体分子の運動について議論する。その場合、確率密度関数は位置座標に依存しないので、f(px , py , pz)と書いてよいが、定義域はμ空間の領域である。(14)のε(x, y, z, px , py , pz)に理想気体分子の運動エネルギーε= (1/2m)(px2+py2+pz2)を代入すると、

となるが、右辺分母の被積分関数はx, y, z に依存しないので、この3変数による積分は分離できて、分母は


となる。ただし、|V|は位置空間の体積である。この結果を代入して、(15) は


になる。

  

 (16) はx, y, zに関して定数なので、V で積分すると両辺にその体積|V|がもたらされるが、右辺では分母の|V| とキャンセルされる。左辺の積分結果は|V|f(px , py , pz)でありと定義すると、(16) を積分した結果は

である。この関数は全運動量空間を定義域とする確率密度関数で、定義域で積分すると1 になる。

 

4. 気体分子の運動エネルギー分布

続いて、 (17)を使って気体分子の運動エネルギーの分布を表す式を求める。運動量の大きさp=(px2+py2+pz2)1/2を使って、直交座標を極座標に変換するとd px d py d pzは p2sinθdpdθdφとなり、これをθとφについて積分すると4πp2dpになる。したがって、運動量の大きさの分布を表す式



が得られる。(18) の両辺からdp を外すと、pの確率密度関数 

が得られる。

 

次に、(18) の右辺の変数p を粒子のエネルギーε=p2/2mに変換して、εの確率密度関数g(ε) を求める。p=(2mε)1/2、dp=(m /2)1/2ε₋1/2dεにより、(18)の右辺は

      

に変換され、理想気体分子のエネルギー分布を表す式が得られる。そして、εの確率密度関数は


で、しばしば分布関数とよばれる。かくして、気体分子の運動エネルギーの分布を求めるという本題が達成された。

 

  初めの方でβを1/kTに置き換えたが、ここでβ=1/kTの証明をする。置き換えをせずに論述を進めれば、(19)は 

となる。粒子1個の平均のエネルギー<ε>は、(20)の左辺にεを掛けて0≦ε<∞の区間で積分して求められる。

  

右辺の積分は、部分積分によって


となる。したがって

ところで、(20)は、一つの粒子がε~ε+dεのエネルギーを持つ確率であるから、0≦ε<∞の区間で積分すれば

である。したがって(21)から


が得られる。一方、気体の分子運動の力学に基づいて、粒子の平均の運動エネルギーは、


と導かれるから

となる。この式は、理想気体の運動以外の一般の場合にも成立することが証明されている(参考資料4、§12恒温槽分布)。


ついでながら、(18)からマクスウェル・ボルツマンの速度分布を導いておく。p = mvで、dp = mdvであるから、pをvに換えると、(18)は

に変換され、マクスウェル・ボルツマンの速度分布が得られる。この分布はマクスウェルにより古典的方法により得られた式と一致する。

 

参考資料

  1. 藤原 邦男 , 兵頭 俊夫 著「熱学入門 マクロからミクロへ」東京大学出版会 1995.  pp. 97-107(マクスウェル-ボルツマン分布の導出), pp. 137-142(正準集団と内部エネルギー)
  2. 和達 三樹 著 , ⼗河 清 著 , 出⼝ 哲⽣ 著「ゼロからの熱力学と統計力学」岩波書店2005. pp. 95-126(第5章 古典統計力学)
  3. 竹内 淳 著「高校数学でわかるボルツマンの原理」講談社 2008. pp. 156-195 (統計力学の世界へ)
  4. 戸田 盛和 著 「統計力学概論」朝倉書店1952 .  pp. 32-38 (§11エントロピーと熱力学的重率, §12恒温槽分布)


(追記) 予め知人に原稿のレビューを依頼しました。その折コメントと一緒に送られてきた知人の論考を一部に取り入れて本記事を完成しました。

 無断転載禁止

 

2022年6月11日土曜日

ヒトがビタミンCを作れないのは、ヒトの祖先で何が起きたのか?

 

 ビタミンC 研究委員会のホームページ(https://vc-research.info/)に、一般読者向けの「やさしいビタミンCの知識」が掲載されています。私もビタミンCと酵素に関する4つの記事を投稿しました。そのなかの一つは、私が現役時代に行った研究に関係する話題で、タイトルは「ヒトがビタミンCを作れないのは、祖先で何が起きたのか?」です。この記事に対して、知人から、文献があると有り難いとの意見がありました。この点を踏まえて改訂したのがこのブログ記事です。

 

初めに、参考文献をあげます。

1.       Nakajima Y, Shantha TR, Bourne, GH: Histochemical detection of L-gulonolactone: phenazine methosulfate oxidoreductase activity in several mammals with special reference to synthesis of vitamin C in primates, Histochemie , 18, 293–301 (1969)

2.       Pollock JI, Mullin RJ: Vitamin C biosynthesis in prosimians: evidence for the anthropoid affinity of tarsius, Am J Phys Anthropol 73, 65–70 (1987)

3.       Nishikimi M, Fukuyama R, Minoshiman I, Shimizux N, Yagi K: Cloning and chromosomal mapping of the human nonfunctional gene for L-gulono-gamma-lactone oxidase, the enzyme for L-ascorbic acid biosynthesis missing in man. J Biol Chem 269, 13685–13688 (1994)

4.       Lachapelle MY, Drouin G: Inactivation dates of the human and guinea pig vitamin C genes, Genetica, 139, 199-207 (2011)

5.       R. Dawkins著 垂水雄二 訳「祖先の物語(上)」、小学館(2006)

 

高等動物は、一般的にアスコルビン酸(ビタミンC)を体内で合成することができます注[i] 。この点において、ヒトがビタミンCを食事から摂取せねばならないのは例外的です。ヒトのほかにチンパンジーやニホンザルのような霊長類の種も同様です。本稿では、霊長類の進化をたどりながら、いつ霊長類の祖先がアスコルビン酸を合成できなくなったのか、またその原因は何かについて述べます。

 

一般の高等動物は、グルコースを材料にしてアスコルビン酸を合成できますが、ヒトやサルは合成経路の最後の段階で働く酵素(グロノラクトン酸化酵素)が欠損しているためにその合成ができません。現在生息している霊長類の種について、この酵素を持っているか否かを調べた研究があります(文献1、2)。その結果を、霊長類の進化と関係づけると、図1のようになります。まず、霊長類の進化を、最古の祖先からヒトに至る流れに沿ってたどりましょう。この流れから最初に分かれたのは、ロリスやキツネザルのような原始的な霊長類の祖先です。次にメガネザル類が分かれ、さらに新世界ザル(クモザル、タマリンなど)、旧世界ザル(マカク注[ii]、ヒヒなど)そして類人猿(オランウータン、ゴリラ、チンパンジー)が、この順に分岐しました。そのあとヒトが出現しました。ロリスやキツネザルはグロノラクトン酸化酵素を持っていますが、メガネザル類とこれ以降に登場した真猿類の種は酵素を欠損しています。したがって、酵素の欠損が起きたのは、真猿類の系統の出現(7,000万年前)からメガネザルの系統の分岐(6,100万年前)に至るまでの間と考えられます。

では、霊長類のグロノラクトン酸化酵素欠損の原因は何でしょうか。進化の過程でこの酵素の遺伝子が壊れてしまったためです。このことは、ヒトのゲノムに遺伝子の残骸(「遺伝子の化石」注[iii]ともいうべきもの)が存在していることから分かりました(文献3)。一般的に、酵素の本体であるたんぱく質を構成するアミノ酸の配列を決める遺伝情報は、遺伝子DNA上に分断されて書き込まれています。個々の分断された部分をエキソンといいます。ビタミンCを合成できる動物の正常なグロノラクトン酸化酵素遺伝子の場合、12個のエキソンに分断されています。しかし、ヒトの「遺伝子の化石」では、6個が失われて6個のエキソンしかありません。チンパンジーやマカクのゲノムにも、同様な「遺伝子の化石」があります。遺伝情報は、DNA上に4種の文字(A、T、G、Cの塩基)を使って書かれていますが、「遺伝子の化石」では、文字が抜けたり余分に加わったりした個所があり、また、たんぱく質の機能を損ねるような文字の置換注[iv]も多数あります。このように正常からほど遠い状態になったのは、最初の機能を損ねる変異が起きてから、長い進化の過程を通して次々に新しい変異が蓄積された結果です。なお、遺伝子欠損が起きた霊長類の祖先が生きながらえることができたのは、ビタミンCを十分に食餌からとることができる環境で生息して来たからと考えられます。

 

図1。霊長類のいろいろな種のビタミンC合成能と系統進化との関係。「カラースケッチ ヒトの進化」(A. L. Zihlman著 木村邦夫 監訳、廣川書店 1987)の図を一部改変。系統樹の部分は「祖先の物語(上)」(R. Dawkins著 垂水雄二 訳、小学館、2006)に記された分岐年代に基づいて修正した。ただし、分岐年代の推定には諸説ある。

最後に、グロノラクトン酸化酵素の欠損の起きた年代を推定した研究について触れて起きます。2011年にオタワ大学の研究者が、この酵素の「遺伝子の化石」に残された文字配列の情報を用いて、酵素欠損は6,100万年前に起きたと推定しました(文献4)。霊長類の進化でメガネザルの系統が生まれた時期は5,800万年前(文献5)とされるので、このサルの祖先で酵素の欠損がすでに起きていたことになり、真猿類の種がすべてビタミンCを合成できないという事実(図1)と矛盾しません。



注[i] アスコルビン酸を合成できる動物には、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類および軟骨魚類がある。合成できない動物として、ヒトやサルのほかにモルモットやスズメの仲間が知られている。

注[ii]オナガザル科マカク属に分類されるサルを指し、ニホンザルはその一例である。

注[iii]科学用語では、偽遺伝子と呼ばれる。

注[iv]科学用語では、塩基置換と呼ばれる。