2022年6月11日土曜日

ヒトがビタミンCを作れないのは、ヒトの祖先で何が起きたのか?

 

 ビタミンC 研究委員会のホームページ(https://vc-research.info/)に、一般読者向けの「やさしいビタミンCの知識」が掲載されています。私もビタミンCと酵素に関する4つの記事を投稿しました。そのなかの一つは、私が現役時代に行った研究に関係する話題で、タイトルは「ヒトがビタミンCを作れないのは、祖先で何が起きたのか?」です。この記事に対して、知人から、文献があると有り難いとの意見がありました。この点を踏まえて改訂したのがこのブログ記事です。

 

初めに、参考文献をあげます。

1.       Nakajima Y, Shantha TR, Bourne, GH: Histochemical detection of L-gulonolactone: phenazine methosulfate oxidoreductase activity in several mammals with special reference to synthesis of vitamin C in primates, Histochemie , 18, 293–301 (1969)

2.       Pollock JI, Mullin RJ: Vitamin C biosynthesis in prosimians: evidence for the anthropoid affinity of tarsius, Am J Phys Anthropol 73, 65–70 (1987)

3.       Nishikimi M, Fukuyama R, Minoshiman I, Shimizux N, Yagi K: Cloning and chromosomal mapping of the human nonfunctional gene for L-gulono-gamma-lactone oxidase, the enzyme for L-ascorbic acid biosynthesis missing in man. J Biol Chem 269, 13685–13688 (1994)

4.       Lachapelle MY, Drouin G: Inactivation dates of the human and guinea pig vitamin C genes, Genetica, 139, 199-207 (2011)

5.       R. Dawkins著 垂水雄二 訳「祖先の物語(上)」、小学館(2006

 

高等動物は、一般的にアスコルビン酸(ビタミンC)を体内で合成することができます[i] 。この点において、ヒトがビタミンCを食事から摂取せねばならないのは例外的です。ヒトのほかにチンパンジーやニホンザルのような霊長類の種も同様です。本稿では、霊長類の進化をたどりながら、いつ霊長類の祖先がアスコルビン酸を合成できなくなったのか、またその原因は何かについて述べます。

 

一般の高等動物は、グルコースを材料にしてアスコルビン酸を合成できますが、ヒトやサルは合成経路の最後の段階で働く酵素(グロノラクトン酸化酵素)が欠損しているためにその合成ができません。現在生息している霊長類の種について、この酵素を持っているか否かを調べた研究があります(文献12)。その結果を、霊長類の進化と関係づけると、図1のようになります。まず、霊長類の進化を、最古の祖先からヒトに至る流れに沿ってたどりましょう。この流れから最初に分かれたのは、ロリスやキツネザルのような原始的な霊長類の祖先です。次にメガネザル類が分かれ、さらに新世界ザル(クモザル、タマリンなど)、旧世界ザル(マカク[ii]、ヒヒなど)そして類人猿(オランウータン、ゴリラ、チンパンジー)が、この順に分岐しました。そのあとヒトが出現しました。ロリスやキツネザルはグロノラクトン酸化酵素を持っていますが、メガネザル類とこれ以降に登場した真猿類の種は酵素を欠損しています。したがって、酵素の欠損が起きたのは、真猿類の系統の出現(7,000万年前)からメガネザルの系統の分岐(6,100万年前)に至るまでの間と考えられます。

では、霊長類のグロノラクトン酸化酵素欠損の原因は何でしょうか。進化の過程でこの酵素の遺伝子が壊れてしまったためです。このことは、ヒトのゲノムに遺伝子の残骸(「遺伝子の化石」[iii]ともいうべきもの)が存在していることから分かりました(文献3)。一般的に、酵素の本体であるたんぱく質を構成するアミノ酸の配列を決める遺伝情報は、遺伝子DNA上に分断されて書き込まれています。個々の分断された部分をエキソンといいます。ビタミンCを合成できる動物の正常なグロノラクトン酸化酵素遺伝子の場合、12個のエキソンに分断されています。しかし、ヒトの「遺伝子の化石」では、6個が失われて6個のエキソンしかありません。チンパンジーやマカクのゲノムにも、同様な「遺伝子の化石」があります。遺伝情報は、DNA上に4種の文字(ATGCの塩基)を使って書かれていますが、「遺伝子の化石」では、文字が抜けたり余分に加わったりした個所があり、また、たんぱく質の機能を損ねるような文字の置換[iv]も多数あります。このように正常からほど遠い状態になったのは、最初の機能を損ねる変異が起きてから、長い進化の過程を通して次々に新しい変異が蓄積された結果です。なお、遺伝子欠損が起きた霊長類の祖先が生きながらえることができたのは、ビタミンCを十分に食餌からとることができる環境で生息して来たからと考えられます。

 

1。霊長類のいろいろな種のビタミンC合成能と系統進化との関係。「カラースケッチ ヒトの進化」(A. L. Zihlman著 木村邦夫 監訳、廣川書店 1987)の図を一部改変。系統樹の部分は「祖先の物語(上)」(R. Dawkins著 垂水雄二 訳、小学館、2006に記された分岐年代に基づいて修正した。ただし、分岐年代の推定には諸説ある。

最後に、グロノラクトン酸化酵素の欠損の起きた年代を推定した研究について触れて起きます。2011年にオタワ大学の研究者が、この酵素の「遺伝子の化石」に残された文字配列の情報を用いて、酵素欠損は6,100万年前に起きたと推定しました(文献4)。霊長類の進化でメガネザルの系統が生まれた時期は5,800万年前(文献5)とされるので、このサルの祖先で酵素の欠損がすでに起きていたことになり、真猿類の種がすべてビタミンCを合成できないという事実(図1)と矛盾しません。



[i] アスコルビン酸を合成できる動物には、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類および軟骨魚類がある。合成できない動物として、ヒトやサルのほかにモルモットやスズメの仲間が知られている。

[ii]オナガザル科マカク属に分類されるサルを指し、ニホンザルはその一例である。

[iii]科学用語では、偽遺伝子と呼ばれる。

[iv]科学用語では、塩基置換と呼ばれる。